紡木たく「ホットロード」 ー「キュンキュン」について考える

すっかりはてな記法も忘れている。
職場で「キュンキュン」することについての論議が熱くなり、ある人によれば紡木たくのマンガが「キュンキュン」する定義とのことで、手始めに「ホットロード」全部読んだ。感想。
「キュンキュン」という感覚そのものについては、最初はよくわからなかったのだけれど3巻の途中まで読んだくらいの時、家に帰る途中の街のあかりを見ながら、その感覚を理解した瞬間があった。
言葉にするのは難しい(だから擬音で表現されている訳だけど)が、あえて一言で言うなら、「キュンキュン」とは "自己評価の挫折と容認という2つの感覚があいまった感情のこと" なのだろう、と思う。

相変わらずいい言葉が出てこない。"自己評価の"は削除していい。"だめな自分が大好きなことに絶望しながらも生きること"と言い換えてもいい。
だめなことをしてる自分が大好きな自分はほんとやだけどでも生きたい、みたいな感覚が研ぎすまされると、キュンキュンする。
恋愛というメカニズム自体、非常にめんどくさいし疲れるし傷つくけれども人類がいまだかつてやめたことのない営みであるので、キュンキュンするのにおあつらえむきと言える。つまり、必ずしもキュンキュンすることに恋愛が必要な訳ではないけれども、恋愛感情がどの人間にもデフォルトで備わっている以上、みんなそれを使ってしまうと。

なんかこういうわけのわからない分析をしてるとマンガの素晴らしさを伝えてないので本当に作者に失礼だと思うのだけれども、上記のような言葉にならない、でも全ての人が抱いている感情を、キャラクターにオーバーラップさせることができるように紡木たくは描いているように私には見えた。そしてそれをロジカルになりすぎず非常に感覚的に描いているように思える。それこそが魅力なのだろうと思う。

登場人物はそれぞれ違う人物像を持ちながらも、明確な「個」がことごとく隠されている。全ての登場人物が1つの「個」を作り出しているような描き方。それが多くの少年少女の共感を得たのだろうと思う。単純に様々な家庭環境や経験値を持つキャラクターそれぞれに読者が共感できる、という効果に加え、多くの人が漠然と抱いている(そして思春期の人間が特に顕著に抱く)、生と死の感覚の間で揺れ動く、ふわふわして不安な感覚が、この表現によって描き出されている。

そこにいる人間が、本当はいないように思える瞬間。自分と言う存在に、自信がなくなる瞬間。そういう瞬間に対する恐怖と、そうではないことを確認することの安堵の繰り返しで物語は展開していく。

「キュンキュン」しすぎてすごく疲れるけど、もっと読みたいと思ってしまう、と僕の知人が言っていた。その言葉にこのマンガの魅力は集約される。

次は「瞬きもせず」。ちょっとしかまだ読んでないけど、ちょっとずつしか読めないほど「キュンキュン」する。