コワいもの見たさ

デジオをあんまり録らなくなってから、落語をぜんっぜん聞いていない。25時間テレビもぜんぜん見ていない。見たのは提供読みする新人アナのとこを10秒くらいだし。だいたいテレビ見ていない。ラジオも聞いていない。かろうじてデジオは聞いている。
これは自分が未熟だからなんだけれども、落語にしろテレビにしろ、聞いたり見たりするとそこに生じているさまざまな細かい芸や間を意識しすぎてしまい、自分がしゃべったり表現したりすることに恐怖を感じる、気がする。で、どうしてもなんにも考えなく見ることのできる番組(テレビで言うところの歌の大辞テンとか)に逃げてしまうことがある。悪い癖で、自分の言葉も含めすべての表現に含まれている毒や刃や消極的な面にばかり着目してしまう時がある。
音楽に関してはそんなことはないんだけれども、なんか言葉の芸はコワい。といいながらこの日記も言葉なわけでコワいんだけれども。んなこと言ったらなんにも見れなくなる。コワいコワいまんじゅうコワい。今度はお茶がコワい。コワいくせに、また見ようとするからタチが悪い。

…とここまで書いてみたけど、落語に関しては自分の表現に影響するっていうか、人生変えたくなってしまうからコワいのかもしれない。気がつくと、立川流にはCコースあるんだよな…とか考えてるしコワい。あ、でも言葉だけじゃないや。NHKとかで伝統工芸の職人のおじいさんとかが出てても、そういう特集死ぬほど好きだけど速攻でチャンネル変える。見たら全てを捨てて弟子入りしたくなりそうでコワいから。荷物をまとめてしまいそうでコワいから。奥さんに「俺、ホントにやりたいこと見つけたわ」とか言いそうでコワいから。

ということは芸がコワいのか。コワいくせに、ちょっと足をつっこんでみたいのか。だからこんなことをここに書いているのか。これが「コワいものみたさ」という日本語の体現なのか。最近加藤ローサが出てるCMに出てくるゲイっぽいメイクアップアーティストの「ホラ、とっても素敵でしょう」ていうモノマネにはまっているのはまたその「コワいもの見たさ」が出てきているのか。ああまたコワくなってきた。


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