カミングアウト

以下、箸にも棒にもかからない話なので読み飛ばすほうがいいかもしれないけど、もし読んでいただけた場合はそのわけのわからなさに深く陳謝します。<後述>
…とまで書いたけど、なんだかこの件に関してどうでもよくなってきた。夏も終わりでちょっと欝の波が来ただけっぽい。まあ、消すこともないのでそのままにしておくけど、続かない。

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ブログにしろデジオにしろ、自分を晒す行為なわけだが、その距離感が問題だ。ブログやデジオを見たり聴いたりする人との距離感。離れすぎてもいけないだろうし、寄りかかりすぎてもいけない。自分を自分で評価してみるに、僕は極端な距離感しか取れていない。離れすぎたり、寄りかかったりして、うざい厨となっている気がする。距離感のとり方のうまい人はよい表現者なのであろうと思う。だが転じて会話や文章のような表現の原点というべき表現方法がうまい人は、他の表現方法にも長けているすごい人なのだろうか。必ずしもそうとは限らない。まったく寡黙な人だけれども音楽や美術に長けた人は昔からいるわけだ。しかしその絶対数は少ないであろうことが予想されるし、さらにそれが現実的に可能かどうか考えると、よっぽどのド才能を持っていないと無理だ。てことは俺無理だ。…距離感のとり方をさらに学ばねば。
学ぶ上で、障害となるものはいろいろある。忙しさ。既成概念。偏見。そして、育った環境。育った環境に関しては自分なりにねじれを抱えているつもりだ。もちろんこれまで死にそうになったことがあるわけではないし、両親はいるし、ごく普通の生活をしてきているが、その中でもねじれを抱いてきたことについて、立ち向かわなければいけない。なぜこのような距離感のとり方になってしまったのか。考えなくてはいけない。

まあ、つまり自分の生い立ちについてテキストで整理しようと思い立ったわけである。簡単にはプロフィールに年表でまとめることにした。要点は2つある。1つ、親父が堅気+尋常じゃない。1つ、親父の宗教的な教育。この二つは自分をかなりの要素で抑制している。これは確かだ。このことについて今後自分なりに掘り下げてこの日記に書いて行こうと思っている。一口で言うのは難しいし。とり急ぎそんな感じ。
あと、とり急ぎ書いておくと、僕は幸せだ。
(続かない)