TBSウンナン極限ネタバトル〜ザ・イロモネア2笑わせたら100万円!スペシャル

お笑い芸人への賛美と愛

この番組は実ははじめて見た。タイトル通りウッチャンナンチャンが司会で、お笑い芸人を挑戦者として迎え、5つのジャンルのネタで競う。ルールは、会場の観覧者から無作為に5人をルーレットで選び(そのルーレットのストップとスタートはお笑い芸人自身がコールし、観覧者は自分が選ばれた事がわからない。)、1ステージ60秒でネタを披露する。ステージ1〜4までは選ばれた観覧者の5人中3人が笑えばクリア。ただしステージ5では5人全てを笑わせなければならない。ネタは「一発ギャグ」「モノボケ」「モノマネ」「ショートコント」「サイレント」の中から選ばなければならず、当然最終ステージに行く芸人は全ての種類のネタを披露することになる。最終ステージで5人全てを笑わせたら賞金100万円。もうこのルールを聞いた時点で、笑いと芸人へのリスペクトが分かる。厳しいルールではあるが、何よりそれに挑戦したいと思うのは芸人自身であり、芸人とはそういう人々なのだということを、このルール設定だけでも視聴者に分からせ、お茶の間に、お客さん(ルーレットで選ばれた会場の)が笑うだろうか、笑わないだろうか、という緊張感を与えることができる、素晴らしいパッケージだ。その緊張感(それは芸人が舞台の上で感じているものだ)をお茶の間に伝えることこそがおそらく制作スタッフの求めていたもので、そう考えると番組タイトルを「ミリオネア」をもじって「イロモネア」と命名したことはとても自然だと思った。「ミリオネア」(フジテレビで放送、原案はイギリス。)がパッケージとして視聴者に届けていたものはその緊張感にほかならなかったわけで、クイズは2の次、司会者もクイズルールもその緊張感を煽るためのアイテムにすぎなかった。そういう意味で「イロモネア」制作スタッフは「ミリオネア」へのリスペクトをタイトルでも番組制作においても示しているわけであるが、では「イロモネア」は「ミリオネア」の"クイズに正解するかどうか"をただ"人を笑わせるかどうか"に変換しただけ、なのだろうか。「イロモネア」制作スタッフにはお笑いブームに乗りつつ、過去のヒット番組「ミリオネア」を模倣する能力しかなかったのだろうか。答えは否、であると思う。
「ミリオネア」で重要だったのは、クイズの回答者ではなかった。前述したが、肝は緊張感だったのである。司会者とクイズルール(もちろん賞金額も含む)がそれを煽る重要な要素であり、クイズ回答者は正直誰でもいい。つまり誰が回答者でもいいから、一般人に答えさせてもかまわない。むしろそのほうが視聴者との距離が近くなる。スペシャル番組の時にはタレントを使えば番組として成立する。「ミリオネア」はそういう"テレビ局側にとって"非常に使いやすいパッケージだったはずだ。だからこそイギリスで放送された原案は世界中で使用され、ブームになった。
それで「イロモネア」なのだが、「イロモネア」での肝は緊張感でありながら、重要な要素は司会者でもクイズルールでもない。お笑い芸人その人なのである。限られた60分という時間に、芸人は自分の今までの時間、才能、アイデアをぶつける。もしすべったら、来年はテレビに出れないかもしれない。また売れない時代に戻ってしまうかもしれない。その緊張感が、見たことも無いような笑いを生む。最初は無表情だった観客が、次長課長の魚市場のマグロのネタに笑う。ほっしゃん。の鼻から何度も出し入れされるうどんにドン引きしたり、ガマンしきれずに吹き出したりする。劇団ひとりは登場時からすでに別人格が入っていて、唾を撒き散らしながらこの世にいない誰かをシミュレートする。バナナマンの最初のネタはやっぱり小さい頃の貴ノ花のモノマネ…この快感!お笑い芸人の人生・感情・執念こそが、「イロモネア」の真の肝である。お笑い芸人への賛美と愛が、視聴者の胸をつかんでいるのだ。これこそ、地上波がやらねばならないことであり、これこそ、ゴールデンタイムに求められるテレビの姿だ。人目もはばからず大きな事を言わせてもらえれば、人間への深い愛とも言えるかもしれない。
しかし「イロモネア」は「ミリオネア」のようにブームにはならないだろうし、世界でマネもされないだろう。その自覚と挑戦、自嘲の意味もこめての番組タイトルなのかとも思う。それでもいいのではないか。少なくとも俺は嫁と一緒に腹を抱えて笑ったんだ。それが全てなんじゃないか。