探偵神宮寺三郎〜横浜港連続殺人事件〜

この「探偵神宮寺三郎〜横浜港連続殺人事件〜」がなぜ僕の手元にあったのか、全く覚えていない。
僕がこのカセットを初めて自宅のファミコンにセットしたのは、小学校低学年の頃だった。そのころ僕の家は伊豆のド田舎の山の中にあった。伊豆という場所は源頼朝を代表に多くの武将が流刑にされた、古来から情報過疎な土地なのだが、そんな過疎地でもさらに過疎な山ん中の家に引っ越したものだから、その当時の僕の情報への飢えは相当なものだった。
家のテレビ電波の状況の悪さにより民放のテレビは映らない。NHK総合と教育、そしてパラボラアンテナの導入により視聴可能になったNHKBSが情報源で、その当時民放で放送されていた様々なバラエティー番組を生で体験することが、僕にはできなかった。
そんな中で当時の僕はとにかくファミコンを熱心にプレイすることで友人達との情報戦に優位に立とうと必死だった。たくさんカセットを買ってもらえたわけではないが、定番のカセットを揃えてせめて他のテレビが映る友人達とゲームの上では同じ感覚を持っていたいと思っていた。
そんな感覚でゲームソフトを購入していた当時の僕の手元になぜこのカセットがあったのか。頑張って記憶をたぐりよせてみても、わからない。父が買ってきたのかもしれないし、なんとか他の友人がプレイしたことの無いカセットをプレイして新たな自尊心を持とうとしたのかもしれない。
ともかく、僕はそのころの僕のファミコン部屋になっていた、自宅の裏の離れに設置されたテレビの前でカセットを取り出した。その離れは6畳一間で、小さなキッチンがついた来客用の部屋でいつもは使っていなかった。食事の時間までは誰も呼ばないし、山の中だから聞こえたとしても竹林が風で起こす、どう、という音しか聞こえない。まだあまり使い込んでいないその部屋は、畳の強い匂いがした。
カセットを入れて画面が映し出され、いきなり聞いたのは銃声だった。ゲームで感じる恐怖の、新しい感覚だった。その毎回カセットを入れるたびに聞かされる銃声に、最初のうちはわかっていてもビクッとした。登場キャラクターは今まで見たどのゲームキャラとも違っていて、みんな外人のような、それでいて日本語を喋る…怪しい人物もそうでない人物もなんだか目がうつろで、ただ一人まともな目をした助手のようこを見てはホッとした。画面はかわいくも楽しげでもなく、ただ黒い謎があり、それを解決するのは自分の能力と選択にかかっていた。随所に差し込まれる横浜の風景も、ドット絵で見事に再現された風景で、それがまだ僕の知らない実在の場所である事実を認識させ、リアル感を増していた。人が死ぬシーンでは動揺のあまり落ち着くために1回事件現場を出て(ゲーム中で)父を呼んだこともあったし、操作の方針の3択を迫られる場面では選択するのに本当に迷ったし、一つのコマンド選択で劇的にゲームが動くのに快感を覚え、ドキドキした。「アクアビット」の味を想像し、話が進むと表示される「神宮寺Ⅱ」のロゴとウイスキーグラスの中で崩れる氷のアニメーションに痺れた。
僕は今まで、ここまでコマンド選択ひとつで痺れるゲームに出会ってはいない。おそらくあの時期のあの場所でなければ、あの感覚は味わえなかったのだろう。このゲーム以降、僕のゲームへの、そしてテレビへの、友人への思いは変わっていく。
その変化は正しくも間違ってもいなかったのだろうけれど、確かに僕の人生には大きく関っていたのだと思う。
そして、あれから10何年経った今、プレイした僕にはまたその感覚が蘇った。
僕は今、正しいコマンドが選択できているだろうか。そして劇的な事件の解決が、できるだろうか。
そして、まだ見ぬアクアビットを、バーで飲む日は来るのだろうか。