ある老人の孤独死

畠山さんが死んだ。
畠山さんは、同じ丁目、2階建ての古い木造アパートに住む、一人暮らしのおじいちゃんだ。


僕と僕の妻は、日々家から家へクリスチャンの宣教活動をしている。
僕は仕事人なので週末が主な活動日であるが、妻は主婦なのでほぼ毎日をその活動に充てている。
畠山さんは、その活動で妻が出会った。僕も2、3回、ついて行ったことがある。だいたい月に1回ほどの割合で妻が話す聖書からの情報と、手書きで書いた聖句のカードを心待ちにしていてくれた。カードをファイルし、会うのを楽しみにしていてくれていた。人嫌いだがネコは好きだ、心臓の手術をしたことがあって、自分はもう長くないなど、よく妻と話していたそうだ。
ある日妻は、いつものように畠山さんのところへ行った。ドアが開いていたので声をかけたが、出てこなかった。畠山さんは近所のネコをかわいがっていたので、よく留守でもドアを開け放しにしており、僕の奥さんは別段気にせず、聖句を書いたカードだけを玄関先に置いておいた。
それから10日ほど経り、妻は再度おじいさんを訪ねた。
またドアが開いたままになっており、妻が中を覗くとネコのトイレが荒れ放題になっていて、異臭がする。
玄関先には10日前に置いたカードがそのままになっている。
おかしいと思った妻は帰宅し、ちょうど仕事が休みで家にいた僕に状況を話した。
話を聞いた僕は嫌な予感がして、一緒にもう一度行ってみようと言い、出かけていって開いたドアに向かって声をかけた。応答は無い。玄関横のトイレをノックする。返事は無い。トイレのドアを開けると、汚れた和式の便器の中に血の着いたトイレットペーパーが数枚落ちている。その時すでに僕はおおかたの結末を理解した。
妻には外で待つように言い、声をかけて部屋の中に入った。入ってすぐのキッチンから奥の6畳の部屋を見ると、電気がついている。おそるおそるもう一歩足を進めると、電気ストーブがついている。こたつ机の向こうに、あおむけで倒れる畠山さんがいた。下半身は裸で、足は細く、干からびたようでもあった。そこまで見て、完全に死んでいるとわかったので、外に出て妻に状況を告げ、携帯から110番した。
警察に事情を聞かれ1時間半ほどで帰宅した。
警察の検死の結果でいろいろわかるのだろうが、警察によればもう手の施しようはない状態だったらしく、畠山さんはよくニュースで見る青い死体用のシートにくるまれ、運ばれていった。
トイレで具合が悪くなって下半身裸のまま部屋に行き、息絶えたのだと思う。
おそらく妻が行ってカードを置いた時には、もう事切れていたのだと思う。その前に妻が会って話をしたのはひと月以上前だというから、もしかしたらひと月以上あの状態だったのかもしれない。
なんともやりきれない。
大して会ったことも無いし、親族でもないが、無力さを感じる。
政府も、自治体も、僕が好きな美術も、デザインも、インターネットによるコミュニティも、こればっかりは何もできない。
クリスチャンであるがゆえの将来の希望が救いではあるが、人の死は悲しい。

都会の老人の孤独死の話は、聞いていたがほんとうに自分がそれを目にするとは、思いもしなかった。

ここ数週間、根を詰めて作ってきた企画書も、今日は進められない。