どうかしてると思うんだけれども、

下記の記事のM氏のパフォーマンスにシビれた。
http://japanese.engadget.com/2006/05/09/nintendo-e3/
kodak theaterというアカデミー賞の授賞式が行われる場所で、M氏がタクト(コントローラー)を振り、ゲーム画面が応える。そしてその表情は嬉々としたものだ。ゲームへの希望と情熱を体と企画全体で表現している。
これはこのパフォーマンスを報じた上記記事の画像だけで感じたことで、これは甚だ個人の偏見と先入観に基づいていると思うんだけれども、僕はこの記事から、M氏含むN社全体が、誰もつくったことのないものを開発する孤独を全身で感じつつ、あるいは今後も自分たちが先駆者としての孤独を経験するだろう可能性を抱えつつ、それでもひたすら前進するんだという気迫と意志を感じて、シビれてしまった。

N社とM氏が前の携帯ゲーム機であんだけ成功したので、そのN社の新しい機器について賞賛することはたやすいわけだけれども、なんというか、この新しい機器を買いたいとか楽しみとかそういうことではなく、こういうあらゆるものを振り払った迷いのなさに、ただ僕はシビれてしまう。
この機器が成功しようがしまいがそれにあまり興味はない。
ただあらゆるリスクとマイナスの要素を超え、試行錯誤の上確立された1つの結論を信じ、ただ進む。
それはある種、信仰に近い。もちろんビジネスなわけだけれども、単なる数字の計算ではない、情熱がもたらす力だ。
その信仰が正しいにせよ、間違っているにせよ、こういう気迫と意志こそが世界を変える力なんじゃないかと、僕はどこかで思っていて、テンションがあがってしまった。