家族だと思う

昨日チャリで帰宅しながら、豆乳鍋をつつきながら、夜寝ながら、ずっとコミュニティ(人とつながること)についてぼんやり考えていた。
人間は、他人とつながりたい。家族になりたい。
コミュニティが作られていく動機は、それに尽きる。純粋で唯一の原動力だ。
じゃあなんでつながりたいんだろう。家族になりたいんだろう。
で、もともと一緒だったからだって考えたら、素敵か?と。
すごい宗教的な観念かもしれないし、ただのロマンチシズムなのかもしれないけれども、
もともと家族だったけど、離ればなれになってしまった、またはすごく多くてバラバラになってしまったので、それをもう一度つなごうとしている。
それが人とつながりたいという感情の理由だと、自分の中で決めたら、ちょっと他者への見方が変わるかなあと思った。

むー。どうなんだろうか。

そういえば、書いてて思い出したけど、マンガ「BARレモンハート」で、6人くらいでグラッパを飲んで悪酔いするときかなんかに、そこにいる人間をみんな本人じゃなくて、本人の弟とか妹だと思うのがイタリア式、っていうのを思い出した。
そうすると、たとえ相手が酔いつぶれても大切な弟や妹だからみんなで介抱すると。
そのへんの理屈があまりよく分からなかったんだけど、要するにそれはみんな家族だと思うことであって、それによって他者との間に引いている心の中の境界線が取り払われる、ということだったのかと今わかった。間違ってるかもしれんけど。