2つ前の干支が、当たり前のような顔で。

金華鳥のオスを飼っているのである。
スズメよりもちいさく、オレンジ色の鮮やかな頬とクチバシを持つそいつが家にやってきたのは、3月ごろだったろうか。
冬の終わりに母が死に、春先に妻が実家の愛猫を亡くし、家中に悲しみの色が濃かった時に、生まれて1年しか経たないそいつは、会った瞬間無邪気に肩にとまったりして、僕らを和ませ、家の中に少しのオレンジ色を落としてくれた。
人間にヒナから育てられているから、恐れずなついてくる。平気で肩にとまるし、
ほうっておくと俺の頭の上でまったり落ち着いたりもする。
えさを食べ、水を飲み、羽繕いをし、水浴びをし、世の中に文字通り五万といるであろうピイという名前を付けられ、あっという間に家族の一員となったのである。


ところかまわず糞をする、という欠点はあるものの、それはどの鳥も一緒であり、仕方がない。まあ、鳥かごの中に入れておけばいいし、と思っていたが、恐ろしいことにだんだんと糞が気にならなくなってくる。
かわいさ余って鳥かごから外に出し、一目散に自分の肩にとまったそいつに白い固まりを落とされると、あ、やったな、とは思うものの、その「やったな」は雪合戦の時に雪をぶつけられる時発するのと同じ「やったな」であり、なまじ悪い気ばかりはしていない。
時には糞を見てにやりと笑ったりなどし、今日の調子はどうかななどとも思うし、仕事から帰ってからの夫婦の会話の最初が、やつの排泄物に関してだったりもする。
逆にやらなかったとしても、今日は俺の肩でやらない、お前はえらい、などとほめる始末で、完全に親バカになってしまっている。


しかしちょっと困ったことがあった。この困った、というのも親バカだからなのかもしれないが、ともかく、困ったのである。
巣にいっこうに入ろうとしない。いつも巣の「上に」とまって寝るのである。
与えている巣は、いわゆるつぼ巣、というやつで、その名の通りつぼを横にした形をした藁製の巣なのだが、未知の穴が怖いのか、それとも人に育てられた故に本能をわすれたか、いずれにしろ巣には目もくれない。
寒くなったら入るかと思ったが、11月、12月、まったく入るそぶりも見せず、ついに年を越してしまった。
12月に入って寒い日が続いても巣に入らないのを見て、ああ、こいつはバカなんだと思った。でも大丈夫だ。お前は飼い鳥だ。俺たちはお前を守ってやる。夜寝るときは何重にタオルもフリースもかぶせてやる。お前が帰巣本能という野生のルールを忘れても、それは俺たち人間のせいかもしれないわけであり、それを償ってやるのはあたりまえのことだ。


と、思っていた。


ところがである。
新年が明け、元旦の午後、ふと鳥かごの中を見ると、やつがいない。
扉を開けてはいない。妻と顔を見合わせ、もしかしてとつぼ巣を見ると、やつは何知らぬ顔で、ちょこんと入っていた。
試しに巣草を与えると、せっせと巣に運び、どうやら巣の中に自分の家を作っている。
あのバカな鳥が、本能を忘れてしまったと思いこんでいた鳥が、当たり前のような顔で俺の肩に糞をしやがる鳥が、また当たり前のような顔で、巣から止まり木へ、鳥かごの壁面へ、三角飛びをしながら、せっせせっせとつぼ巣へ巣草を運び、マイホームをつくりやがるのである。


恥ずかしい、バカみたいな話だが、俺は泣いた。
こいつもまた、働こうとするのか。
金華鳥は、オスしか巣作りをしない。それは他ならぬ、メスを迎える用意をするためなのである。こいつはヒトに育てられ、何も親鳥からは教えられていないはずなのに、家族を知らないはずなのに、マイホームを自ら作り、まだみぬ嫁を迎えようとするのか。
ああ、バカは俺の方だと思った。そして清々しい、さわやかな風が吹いた。
こういうことにその都度支えられて、俺はこの一年を、一生を、生きていくのだと思った。